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屏風
当山はかつて屏風寺と呼ばれるほど多くの屏風を保有しておりましたが、廃仏毀釈にともない残念ながらその数を減らしてしまいました。それでも十数点の屏風を保有しており、毎年4月上旬には虫干しをかねて当山本堂において一般公開をしております。
日吉山王祭礼図(国指定重要文化財)
四曲一双 紙本金地著色
各縦168.0 横370.0 桃山時代
本図は春に行われる日吉大社の大祭の場面のうち、右隻に四月三日の榊の神事、左隻に四月の二の申の日に挙行される船祭を描いている。
日吉山王祭礼を主題とした作品のうち最古の作例であり、狩野派の影響が見られる。
画中の空間を前後に仕切り、意味的に差異のある領域を見せる構図や細部の人物描写も見事で慶長期の狩野派の中でも抜群に筆力に長けた絵師の作であろう。制作年代は十七世紀初頭と考えられる。
源氏屏風
當山所蔵の屏風絵は2003年、本堂の裏に眠っていたのを発見された。これは代々の寺院宝物帖にも記載されておらず、當山が所有するに至った経緯は不明である。
屏風絵図は六曲一双の大きなもので、25の場面が描かれる。場面は金雲によって仕切られており、細やかな筆使いは、制作者の力量をよく表わしている。桃山から江戸初期にかけての作ではないかとされている。
阿弥陀二十五菩薩来迎図
極楽浄土に往生することを願う者が臨終を迎えた際、阿弥陀仏が25の菩薩を引き連れて現れ、浄土に導いてくれる様を描いたものである。
雲上より来迎する阿弥陀の白毫(眉間)から慈悲の光が放たれ、諸菩薩の手には、琵琶、笙、鼓などの楽器が鮮明に描かれ、散華や焼香のあふれる中を優雅に臨終往生できるように表現されている。
また本屏風には阿弥陀の両手に糸通しの穴が見られ、実際に臨終者の枕元に屏風を運び、五色の糸を阿弥陀仏の手と、臨終者の手とを結んで用いていたと考えられる
龍虎図(岸駒筆)
岸駒は江戸後期に京都を中心に活躍した絵師。1749年(寛延2年)富山に生まれ、金沢で育ち、上京後まもなく当山にゆかりの有栖川宮の近侍となったことから、檀王との関係が築かれたと考えられる。
独学で絵を学び、諸派をあわせてみずから岸派を開く。虎の絵を得意としたことで知られる。晩年は従五位下に叙せられて、越前守をつとめた。本図は越前守の号が記されていることから晩年の作とされる。
阿蘇山望図(川北霞峰筆)
川北霞峯は1875年(明治八年)京都に生まれた四条派の画家で、京都市立美術工芸学校教諭となり長きにわたり後進の育成にあった。
山間、渓間の風景などを好んで描き、初期の四条派風の風景画から、後年には写実的で色彩豊かな風景画を残した。
本図は噴煙を上げる九州阿蘇の広大な風景をダイナミックに描いた作である。
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